春の花におもう

『昔から、花見、紅葉の宴は、そもそも宴というものの基本に、酒をたむける相手がいて、宴を始めるのが常識だろう。 こうして花をめで、一夜、楽しむのは、先に逝った人たち、去年はともに見たが今はかそれがなわぬ人にむかって盃を上げるんだろう。 (中略)

毎年、花見の席で、亡くなった人々へ盃を献げてる男たちは全国に大勢いる。今春なら、東北の人たちの魂がやすらぐように、頑張ってる人たちに力が湧くようにと盃を上げはじめるのは当然だろう』

伊集院静「大人の流儀」より

 

一ヶ月で三度、告別式に出席したこの3月。

 

いろんなことを考えさせられます。

いろんなことに気づかされます。

大好きな詩です。最後の二行が特に。。。

 

『さくら』      茨木のりこ


ことしも生きて
さくらを見ています

ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら

ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら

なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう

あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ

さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです。

死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

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年度末、30日金曜日の夕方。

県庁近くを通った時に、バス停でバスを待つ年配の女性

を見ました。毎日使っていたであろうバス停で、微笑みを

浮かべながら大きな花束を膝に抱いてたたずむ姿に

いろんなことを想像しながら、私も笑顔に。

 

春に感じる幸福感は、少しの寂しさがあるからこそ、かも。

 

明日、天気が良かったらお弁当を持って花見にでも

いきたいな、と思います。