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サラリーマン時代に人生変わる出会いがあったのは場所のおかげだ。

【D者の思い出・番外編】

以前勤めていた会社の最後の日を昨日投稿したら、やはり色々繋がっていたのだということを思い出したので、またここに書いて見ます。その中である「いいね」をいただいた方に、どうしても感謝の気持ちをお伝えしたくて。

 

大学卒業後、建材メーカーD社に入社。同期入社は営業、本社、工場など全国から集まった80人程。すっ飛ばすが、私は同期の中で最北に位置する東京支社宇都宮営業所に配属。宇都宮は東京にあると思っていた大卒新人。D社に入社したことを死ぬほど後悔した。

 

宇都宮に行ってびびった。北関東というが、南東北だわ、と。
宇都宮や水戸の方言に驚き(ダッペって本当に言うんだ、とか)ながらも、宇都宮のお客様には温かく迎えていただいたので、すぐに馴染んだ。宇都宮は第二の故郷だと思えるくらいに。

 

そんななか、当時のお客様で今でもFBで繋がり連絡し合うH専務(当時)から電話があった。

 

「野田くん、今度の休日にうちの会社でセミナーやるんだけれども、よかったら来ない?彼女でも誘ってさ。長崎から有名なガーデナーがやってくるんだ。イギリスの有名なショーでシルバーなんちゃら賞ってのを受賞して世界二位になったすごい人だよ。佐賀は隣だから色々理解できるかもしれないしさ」

 

そこで、私は休日に当時の彼女=今の奥様連れて遊びに。

 

講師として現れたのが石原和幸さん。当時今の私と同い年くらいだった。船井総研とかの関係でガーデンビジネスの講師としていらっしゃったような記憶がある。

 

確か、箱庭寄せ植えだったと思うけれども、その発想や語り口、表情で一発でファンになった。一緒に行った彼女=今の妻も「おもしろーい」と興奮してた。庭の世界は面白いなって思ったけれども、自分とは遠い話だと感じてはいたのだが。

 

石原さんが私に言った

 

「佐賀なの?じゃ、一緒にやろうよ」


という言葉が、私の人生にこれほど影響するとは思ってもいなかったけれど。

 

途中をすっ飛ばすが、佐賀に帰ってきて住宅の会社を設立。ロイヤルウッド佐賀という会社で住宅のFCだった。そこでいろんな住宅を設計施工してきた中で、ふと気づいたのだ。

 

《庭がないと、家がカッコ悪い》

 

そんな時に思い出したのが石原さん。宇都宮のH社長(当時)に電話して紹介してもらった。

 

長崎で再会した石原さんは以前とは異なるオーラに包まれていた。
後日、その当時の話を聞くと、色々大変な時期だったことがわかるが、この石原さんは何と言っても「いい顔」をした男なのだ。
顔の相が良いとある方は表する。プラスのオーラを纏うって感じ。

 

そんないい男が私に言った。


「野田くん、僕が野田くんの会社の庭を作ることはできるけど、野田くん自身が庭の勉強をして自分で庭を作れるようになったら?」


そして

「俺の下でガーデニングの勉強せんね」

人生で初めて師匠が誕生した瞬間であった。

 

妻に報告すると宇都宮のセミナーの記憶が蘇ってきたのか笑顔で応援してくれた。そして私はガーデンデザイナーとなった。

 

その後、紆余曲折ありながらもハウステンボスやチェルシーフラワーショーに出場するときも、石原さんはずっと意識していたし、今でも大好きな人物だ。

 

そんな大好きな師匠に出会えたのはH専務の声かけがないと叶わなかった。H専務を紹介してくれたO所長のいる宇都宮に行かなかったら叶わなかった。そしてD社に入社しなかったら。。。

 

もちろん、内定をもらっていたP社やY社に入社していても、違った人生で違ったことをしていることだろう。もっとレベルの高いことをしているかもしれない。けれど、そんなの関係ない。

 

私は私の人生が気に入っている。うまく行かないこともいっぱいある。いや、ほとんどうまくいってなんかない。今なんか苦しみの連続だ。それでも自分の人生に一番期待しているのは私自身だ。

 

「あの時」の決断や判断や行動や言葉が今の私になっている。


過去を美化しても仕方がないが、過去を肯定的に捉えることができるようになってから、人生は変わって見える。

 

アホポンなサラリーマンで会社に迷惑をかけてばかりだったけれども、本当にあの時代があったからこそ、と感謝しかない。

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