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エイリアン 想像力の外側

ロンドンで日本では公開されていない映画「エイリアン・コヴェナント」を観たんだけど
字幕も無ければもちろん日本語吹き替えなんてないから苦戦した野田。

けれども小学生からのエイリアン好き(洋画ロードショー的なものから)なので、なんとなく
わかる。いや、結構わかったので嬉しい、と思ったのもつかの間。

エイリアン「キシャー!」

乗組員「うわー、ぎゃー」・・・

万国共通にわかる話でした。


が、ここで「万国共通」なんだけど、やはり想像力も限界があるってこと。

例えばエイリアンのデザイナーはH.Rギーガー。
彼が生み出した「Alien」というクリーチャーはこの四十年弱の時間でも色あせない完成度。

しかし、当時はCGが無いから「ぬいぐるみ」に入ってエイリアンを動かさなければならない。

そうすると頭が一番上にあって、体の左右に手、腰の下に足があるデザインになってしまう(野田の意見です)

ま、これがコヴェナントや、その前日談であるプロメテウスを観ると「人間に寄生するからか、あ、そういうことね」って理解できるのですが、そこは多分後で取ってつけられた話であって、ギーガーがデザインするときにはそんなことは考えていなかったかもしれんし。


で、話、もとに戻すとエイリアンを創造するときに「ヒト型」をベースにしてしまうことは仕方が無いのでしょうけれど、本当に「エイリアン」がいる場合、あのような形なのであろうか、と。


宇宙人がいるかいないかの議論は、我々地球人がいるからどこかにいるでしょうね、と私は思うの。

でも、わざわざ地球を侵略しにきたり、宇宙船を作るような技術などは創造の埒外と思考停止。

では、どんな姿なのか?

アメーバみたいな知的生命体か、物質ではないなにか気体や液体みたいなものか。
脊椎生物であっても重力などの影響で違う形だったり。。。


そんな風に考えると、どんなに創造しても、自分の頭の中にインプットしたものの総和以上は
なかなかでてこないものだな、って思います。

エイリアン、久しぶりに観ました。1979年の映画です。

シガニー・ウィーバーが綺麗。小学生の頃は「おばちゃん」扱いでしたけどね。

38年も前の物語。

デジタルも液晶が存在しない頃。宇宙船のなかはブラウン管ばかり。
蛍光灯の電気、ださい宇宙服。

2017年の今から観ると、突っ込みどころがいっぱいです。

しかし、当時のスタッフは死にものぐるいで想像し、作ってきたのですね。
笑ったりしません。

ただし、当時の優秀なスタッフ達が考え、創造した「未来」は、現実のスピードの
遥か後ろだった、ということです。

それでも私たちは「創造」し続けなければいけない。

未来を前向きに夢みなければいけない。

想像できないからと創造を諦めちゃいけないのです。


私たちの想像力の外側に、きっとすごい発見があるはず、と信じています。

写真はアメリカ製のエイリアンのプラモデル。10代で作ったのをもう一度、と。

エイリアン コヴェナントは9月に日本でも公開されます。
楽しみです(わかんなかったことをもう一度見直すために)